( 原 文 )
今昔、北辺の左大臣と申す人御座けり。名を信とぞ云ける。嵯峨天皇の御子也。一条の北辺に住給けるに依りて、北辺の大臣とは申す也。
万の事止事無く御座ける中に、管弦之道をなむ艶ず知給いたりける。其中にも箏をなむ並無く弾給ける。
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( 現代語訳 )
今は昔、北辺の左大臣(源信(みなもとのまこと))というお方がおられた。
名前を信(まこと)と言った。嵯峨天皇の息子さんである。 一条の北の辺に住んでおられたので、 北辺の大臣とお呼びしていた。
なんでもお上手で秀でておられたが、 中でも音楽の道にかけては、それはもうすばらしかったのである。そのなかでも筝(しょう、弦楽器)を弾かせたら並ぶ者はいないという名人であった。
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而るに、大臣或時に、夜る箏を弾給ひける、終夜心に興有て弾給ふ間、暁方に成て、難き手の止事無を取出て弾給ひける時に、我が心にも、「極じく微妙し」と思給けるに、
前の放出の隔子にの被上たる上に、物の光る様に見ければ、「何光るにか有らむ」と思給て、和ら見給けるに
長け一尺許なる天人共にニ三人許有りて、舞う光り也けり。
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大臣、ある夜に筝をお弾きになっていたが、夜もすがら心の趣くままに弾いていたら、ついに明け方になってしまった。そして難曲でしかも吊曲であるのを選びだして弾き続けられた。「我ながらこんなに上手に弾けるとは!」
あれ、前の座敷の格子が上げられているところに何か光っている?何やろ? そっと窺ってみると
ひえー! 身の丈1尺くらいの・・・天人さんたちや、2-3人、光りながら・・・舞い踊っているやんか!
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大臣此を見て、「我が微妙き手を取出て箏を弾くを、天人の感て下来て舞ふ也けり」と思給ふ。哀に貴く思い給けり。実に此れ、奇異く微妙き事也。
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ボクがあまりにも美しい曲を選んで筝を弾き続けているさかい、天人さんらが聞きつけて舞い降りてきて、ああやって曲にあわせて踊ってくれてはんのや。これは なんとありがたいことやないかいな。
当時は音楽は天に属するものであったので、地上に美しい曲が調べられるとき、天はしばしばその喜びを地上に告げるのであった。まっことこれは素晴らしく上思議な事であるぞよ。
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亦、中納言長谷雄と云ける博士有けり。世に並無かりける学生也。
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またこんな話もある。中納言長谷雄(はせお)という文章博士がおられた。世の中に並ぶ者がないという立派な学者であった。
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其人、月の明りける夜、大学寮の西の門より出て、禮○○の?の上に立て北様を見ければ、朱雀門の上の層に、冠にて襖着する人の、長は上の垂木近く有るが、○○吹をし、文を頌して廻るなむ有ける。
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ある月の明るい夜、博士は大学寮の西の門から出てある門、たぶん羅城門の橋の上に立って北の方を見られたとき。なんと朱雀門の上の階に冠をかぶって武官の官?を着た人が、身長は上の垂木(たるき)に届くほどもあるが、口笛を吹き、詩を朗読しながら廻っているではないか!
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長谷雄此を見て、「我れ此れ霊人を見る。見乍らも止事無く」なむ思ける。此れ亦稀有の事也。
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ボクは天人をまのあたりに見てるんや。
我ながらありがたいことであるぞよ!これはものすごい事やんか!
朱雀門上に棲む鬼もしばしば風雅の魂を持ち詩歌管絃の趣を持つものとして伝えられている。これもまたとても信じられないような珍しい出来事であるなあ。
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昔の人は此る奇異の事共を見顕す人共なむ有ける、と語り伝へたるとや。
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このように、常人の目では到底見ることができないような不思議なものをも明瞭に見ることが出来る力を持った人々が その昔にはいたのだ、と今に語り伝えられている。
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