沿革

行住院は天正元年(1573年)行蓮社存誉信西により創建されたとされる浄土宗の寺院。当初は「普願庵」と称したが寛永年間に知恩院宮良純親王から「行住院」の扁額を賜りこの名となった。
山号を「城向山」と言う。これは寺の東方面に城・居館があったためといわれる。付近の城南山金樹寺や城ヶ前町などの呼び名から城の存在がうかがわれるが年代などは伝わっていない。

* 宮良純親王は、江戸時代初期の皇族。後陽成天皇の第8皇子で母は権大納言庭田重具の娘である典侍庭田具子。当初は徳川家康の猶子として直輔親王と名乗った。知恩院初代門跡。通称は八宮。慶長8年12月17日(1604年)-寛文9年8月1日(1669年)。

増上寺史料集第五巻

増上寺史料編纂所編。全11巻。
昭和54年ー59年、大本山増上寺刊。

京極楽寺末 山城國上鳥羽村 行住院
起立 天正元年 癸酉
開山 在譽信西 姓氏・剃髪・遷化不知

* 天正元年は1573年. この年、三方ヶ原の戦いで武田信玄が徳川家康を破る.また15代将軍足利義昭が織田信長に追放され室町幕府が事実上滅亡する.

鳥羽風土記

岡本富三郎 著
発行所  京都市農協上鳥羽支部内 鳥羽郷土史頒布会
昭和39年6月5日 発行

八.寺院

行住院
村の西南にあり、浄土宗、愛宕郡田中村知恩寺末、天正元年僧心西創立し、 普眼庵と名づけ、後今の寺号とす、万治元年元年僧玄説中興す。

* 信西でなく心西と記されている.
** 万治元年は1658年.後西天皇の時の年号.将軍は徳川家光.

京都市内およびその近辺の中世城郭:復原図と関連資料

山下正男 著
京都大学人文科学研究所調査報告, 第35号
京都大学人文科学研究所, 1986.3

上鳥羽城Aが現在の上鳥羽小学校のあたり、上鳥羽城Bが現在の城南山金樹寺のあたり、の記載あり。年代など詳しくはわからない。

本 尊

本尊の阿弥陀如来立像は様式や造形美から鎌倉時代から南北朝時代の作を思わせる。脇壇には、足先を少し上げて歩み出そうとされる前屈みの阿弥陀如来立像古仏が安置されている。山門の左右には薬師堂と大日堂があり薬師如来坐像と大日如来坐像がある。

薬師堂

門前の左にある薬師堂は元この付近にあった宗林寺から遷したものと伝わる。薬師如来坐像を安置。

大日堂

門前の右にある大日堂は旧宗安寺のもので本尊・大日如来坐像(鎌倉時代作)は寄木造、極彩色で、光背、台座を伴ってる。その傍には一木彫りの定印を結んだ宝冠阿弥陀如来坐像があり、高さ30cmあまりの小像ではあるがふっくらした面貌は藤原時代の特徴を表している。両堂前には鎌倉期の石仏がいくつも安置されている。