長谷雄卿物語
紀長谷雄(きのはせお) 西暦845(承和12)-西暦912(延喜12)


  長谷雄草紙
  鬼が譲った絶世の美女とは — 朱雀門の楼上に棲む鬼と長谷雄の夢幻絵巻

  今昔物語集 第24巻 本朝付世俗 第1話
  北辺大臣と長谷雄中納言との事、第1  朱雀門の鬼

  今昔物語集 第24巻 三善清行の宰相、紀長谷雄と口論すること、第25
  三善清行と長谷雄の大激論

  (現代語訳はいずれも当ホームページによる)

由来

 「紀」という一族は名門であったらしく幾人もが歴史に名を残している。起源は瀬戸内海一帯の豪族のようであり、「紀」は紀伊国との由来にあるらしい。また豊後大分説もある。「長谷雄」という名は父貞範がその家門繁栄を奈良・長谷寺に祈願して得た子であるためとされている。土佐日記を書いた紀貫之より20歳くらい年長で、5-6代前に家系が分かれている。


 紀長谷雄は中納言(兼博士)という高い位に栄達した、現代で言えば文部科学省のトップといったひとであったらしい。平安時代の鬼が出てくる物語によく登場している人達の一人。三善清行(みよしのきよゆき/きよつら)や小野篁(おののたかむら)も登場する。当時は「鬼」は最先端の科学技術の研究課題であったようだ。 
長谷雄が主人公として登場する「長谷雄草紙」という夢幻的な絵巻がある。長谷雄卿はこの絵巻の中で、朱雀門の楼上に棲む鬼との双六(当時の上流階級の知的競技)に勝って絶世の美人をプレゼントされる。しかし・・・

菅原道真

 紀長谷雄は菅原道真と同年であるが菅原道真を先輩格としてよく敬い政事においてもよく協力しあったようだ。西暦883年(元慶7年)には道真・対渤海大使-長谷雄・掌渤海客使、西暦894年(寛平6年)には道真・遣唐大使-長谷雄・遣唐副使、と外交でも協力しあっている。この最後の遣唐使は唐の衰退のため実際には渡海していない。

大宰府以降

 その後、西暦901年(延喜元年)、道真は藤原時平との政治抗争に敗れ太宰府に落ちていき2年後に没するが道真が配所における詩集『菅家後集』を託したのは紀長谷雄であった。これを見た長谷雄は<仰天伏地悲飛歎きけり>と記録されている。
紀長谷雄はその後、参議に列せられるなど政敵であった時平に重用されているが、これは「文人官吏としての有能さに加えて慎重かつ温厚な性格が幸いした」と言われている。